HOME DIARY  PHOTOS TRAVEL DATA PREPARATION  PROFILE LINK

World Heritage -Part1-

  今回の旅で訪れた世界遺産をご紹介します!
  その前に・・・・

  
世界遺産とは??(以下、社団法人日本ユネスコ協会連盟HP参照)
  正式名称は「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」
  (Convention Concerning the Protection of the World Cultural and Natural Heritage)と言います。
  国連の専門機関であるUNESCOの世界遺産センターが主となって、世界遺産条約の締結国に対して
  後世に残していくべき遺産の保護を呼びかけたり、管理システムの構築を行っています。

  世界遺産は大きく分けて3種類あります。
   
文化遺産・・・歴史的に重要な建築物や保護を要する価値のある人工的景観など
   
自然遺産・・・重要な価値がある地形や生態系、自然景観、
           および絶滅のおそれのある動植物の生息地などを含む地域
   
複合遺産・・・文化遺産と自然遺産の両方の価値があると認められる遺産

  2012年6月の時点で文化遺産745件、自然遺産188件、複合遺産29件の合計962件!!!
  とても全て見きれません。。。

 それでは行ってみまSHOW!

 ↓下の国旗をクリックすると各国の世界遺産へジャンプします
    Asia ・・・    
    Middle East ・・・                
    Africa ・・・            
      
    South America ・・・       America大陸,
Europeはコチラ
    Europe  ・・・ 
         
    North America ・・・              

Asia
NO. 遺跡名称/登録種類 国/登録年 写真 コメント
01 蘇州古典園林
文化遺産

中国
1997年
2000年追加登録
今回見た“留園”はイメージしていた中国って感じでした。長い間この景観を損ねない様にきれいに手入れされてて良かったです。
02 明・清朝の皇帝陵墓群
文化遺産

中国
2000年
2003-04年追加
皇帝のお墓だけあって規模の大きさにビックリ!このお墓に続く“神道”という道にはライオンやゾウなどの実物大に近い石蔵が並んでいてそれも見ごたえがありました。
03 泰山
複合遺産

中国
1987年
歴代の皇帝達は、ここを登ることによって皇帝と認められた、というくらい神聖な山です。登っていくにつれて変わる景色はちょっとだけ疲れを癒してくれました。
04 北京と瀋陽の明・清朝の皇宮群
文化遺産

中国
1987年
2004年追加登録
これぞまさに中国の歴史を物語るのに不可欠な建物です。まず天安門、そして故宮(紫禁城)を見学、最後に北側にある景山公園にいって全体を眺める。これがゴールデンルートです。
05 万里の長城
文化遺産

中国
1987年
遠く遠くどこまでも続く長城を歩いていると、造っていた当時にタイムスリップしたような気持ちになりました。そしてこの長城を造り上げるために尽力した人達の思いを感じれた気がします。THE中国です。
06 頤和園、北京の皇帝の庭園
文化遺産 
 
中国
1998年
戦争中何度も壊されたこの頤和園を、その度に建て直した西太后。本当にこの庭園を愛し、年の3分の2をここで過ごしたといわれています。首都北京にあるとは思えないくらい広大で癒しの空間です。
07 秦の始皇陵
文化遺産

中国
1987年
ある農民が井戸を掘ろうとしたら見つけてしまった遺跡です。こんなにも中国の歴史を揺るがすような大発見になるとは想像しなかったでしょう。一体一体に色が塗られていたのにもびっくりです。
08 四川ジャイアントパンダ保護区群
自然遺産

中国
2006年
“中国=パンダ”と言っても過言ではないくらい世界中で愛されている動物を保護していくのはとても大変なことだと思います。ただ、この愛らしい姿を見たらやっぱり未来の人たちにも見せてあげたくなります。
09 九寨溝の渓谷の景観と歴史地域
自然遺産
 
中国
1992年
まさに秘境にある桃源郷です。人間には造りだせない自然の美しさを五感で感じることができます。この自然を壊さないように配慮された遊歩道やトイレは、人間が「この場所を見学させてもらっている」という気になります。
10 黄龍の景観と歴史地域
自然遺産

中国
1992年
頑張って登った者にだけ見ることができるこの景色は、自然からのご褒美です。偶然が重なってできたこの自然美は見ていると時を忘れてしまいます。龍が水を飲みに来そうなほど神秘的でした。
11 ハノイ-タンロン王城遺跡中心地区
文化遺産

ベトナム
2010年
タンロンとは首都ハノイの旧称で「昇竜(タンロン)」と書くそうです。約800年間ベトナムの諸王朝の都として栄えたため、いろんな時代の遺跡が残っています。ホーチミン廟のすぐ近くにあることもあり、神聖な場所のような気がしました。
12 ハロン湾
自然遺産

ベトナム
1994年
ハロンという名は上記のタンロンとは対して「下竜(ハロン)」と書きます。竜が下りてくる湾と呼ばれ、伝説も残っています。石灰岩の島々が数千点在し、そこに住む人々もいます。船でクルージングをしているととても穏やかな気持ちになりました。
13 フエの建造物群
文化遺産

ベトナム
1993年
フエは19世紀に阮朝の都が置かれた場所です。ベトナム戦争で激戦地となり、多くの建物が破壊されてしまいましたが、現在、貴重な建築は復元中です。阮朝王宮の中に入ったとたん、気持ち良い風と静けさが暑さを忘れさせてくれました。
14 古都ホイアン
文化遺産

ベトナム
1999年
ホイアンは日本ととても関係が深く、江戸時代に朱印船貿易によって多くの日本人がこの場所を訪れ、日本人街を形成しました。この町で一番有名なのが通称「日本橋」と呼ばれる橋で、当時から様々な人種の人がここを渡っていたことでしょう。
15 ミーソン聖域
文化遺産

ベトナム
1999年
2~17世紀にかけて栄えたチャンパ王国の建造物群で、インドなどからの移民が多かったためヒンドゥー教の神々のレリーフが残されています。王朝が滅びた後、20世紀に入って発見されました。現在も謎が多く残る遺跡です。
16 アンコール
文化遺産

カンボジア
1992年
アンコールの遺跡群はとても広範囲に分布されており、1日ではとても足りません。すべての遺跡が違う時代に造られているため、どの場所に行っても様々な素晴らしいレリーフが遺跡を埋め尽くしています。カンボジアの国旗に記されているように、カンボジア人にとってアンコールは世界に誇るべき建築です。
17 ルアン・パバンの町
文化遺産

ラオス
1995年
1975年にラオスで起きた革命以前はここに王宮が置かれていました。現在でも旧王宮や寺院などが数多くの残っています。観光客が増えた今でも街並みは変わらず、日本の田舎に来たような懐かしさを感じる場所でもあります。
18 古代都市スコタイと周辺の古代都市群
文化遺産

タイ
1991年
12世紀頃、中国雲南からきたタイ族がアンコール王朝を破って建国しました。「自由の夜明け」という意味のスコータイには様々な様式の遺跡が公園内に点在してます。木々の中にひっそりとたたずむ遺跡には、何か不思議な雰囲気が漂っています。
19 マラッカとジョージタウン、マラッカ海峡の古都群
文化遺産

マレーシア
2008年


マラッカとジョージタウンは、マラッカ海峡の東洋と西洋の交易と文化交流の場として栄えてきました。ペナン島のジョージタウンは、18世紀頃英国の植民地時代に建てられた建物が残されています。現在は中国から渡ってきた華僑の人々によってこの街並みが保護されているといっても過言ではありません。英国式の建物に中国語の看板が、この街をユニークなものにしているのでしょう。一方、マラッカは16世紀よりポルトガルやオランダによる統治の影響が深く残された教会や建物が残っており、ヨーロッパの雰囲気を今も残しています。
20 聖地キャンディ
文化遺産

スリランカ
1988年
シンハラ人のウダラタ王国最後の都、キャンディは現在スリランカ中部の最大都市であり、スリランカに来た観光客が必ず訪れる場所と言っても過言ではありません。ここには仏陀の犬歯がおさめられている仏歯寺があるのがこの地が聖地と言われるゆえんです。仏教と深く結びついている場所でありながら、通りを歩いているとなぜかヨーロッパにいるような感覚になるのはこの町の魅力かもしれません。
21  スリランカ中央高原
自然遺産

スリランカ
2010年
スリランカの中央高原は、1つ国立公園、1つの自然保護区、そして1つの保護森林によって構成されています。これらの熱帯雨林群は標高約2500mまで達し、この島固有の動植物が数多く生息しています。保護区内にある山「スリーパーダ」は山岳信仰の山であり、また別名を「サマナラ・カンダ」とも言い蝶々が乱れ飛ぶ姿も有名です。
22 ダンブッラの黄金寺院
文化遺産

スリランカ
1991年
洞窟の中にいくつもの釈迦像と保存状態のよい壁画が残されているこの黄金寺院の歴史は、紀元前3世紀ごろまでさかのぼります。それ以来数多く増築がなされ、黄金寺院はスリランカでも重要な仏教寺院として発展を遂げました。また、釈迦像の他にも、スリランカ王の像やヒンドゥー教の神像が置かれているのがこの寺院のおもしろいところかもしれません。
23  古代都市シギリヤ
文化遺産

スリランカ
1982年
スリランカの世界遺産で最も有名な物件であるシギリヤ。実父の王を殺害し、自ら王になった息子が岩山の上に宮殿を建てました。その後実弟との戦いに敗れ、自害したという歴史があります。岩山を頂上まで登ると宮殿跡が残っており、またそこからは360℃の大パノラマが広がっています。そして絶壁に描かれている「シギリヤレディー」は現在もその美しさで訪れる人を魅了しています。
24  古代都市ポロンナルワ
文化遺産

スリランカ
1982年
1017年から1255年までスリランカの首都として栄えたポロンナルワ。タミル系民族により追いやられたように移された首都だが、交易と農業が栄え、特に灌漑設備は乾季でも農耕を可能にしました。また、現在はキャンディにある仏陀の歯も、当時はポロンナルワの仏歯寺に置かれ、現在でも多くのスリランカ人がこの地を訪れています。
25 ゴール旧市街とその要塞群
文化遺産

スリランカ
1988年
コロンボより南へ約120kmの場所にある南部州の州都であるゴールは、18世紀のオランダ植民地時代に大きく発展しました。なかでも旧市街を囲む城壁はアジア最長となっています。写真の建物は珍しいヨーロッパ建築のイスラム教モスクです。街並みはヨーロッパ風の建物だがどこかアジアを感じるという面白い風景です。
26
ゴアの教会群と修道院群
文化遺産

インド
1986年
ヒンドゥー教のイメージの強いインドですが、ここゴアはポルトガルの植民地だったこともあり、キリスト教が深く根付いている印象があります。また、教会隣にある博物館では、現地人に脅迫されながらも布教をつづける宣教師たちを描いた絵画が展示されており、彼らのキリスト教に対する思いをうかがい知ることが出来ます。
27 チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅
(旧名ヴィクトリアターミナス)
文化遺産

インド
2004年
まるで大聖堂のような壮麗な外観を持つこの駅は、現在も利用されている現役の駅であり、またインド最大の乗降客数を誇る駅でもあります。ヴィクトリアン・ゴシック様式でムンバイのコロニアル建築を代表し、10年をかけて1887年に完成しました。ここから電車にのって旅に出たら、どこかにタイムスリップできそうな気がします。
28 エレファンタ石窟群
文化遺産

インド
1987年
ムンバイから船に乗り約1時間の場所にあるエレファンタ島は、16世紀にポルトガル人が巨大なゾウの石像を発見したことからそう呼ばれるようになりました。7窟あるヒンドゥー教の石窟寺院のうち6つはポルトガル人によって破壊されましたが、第1窟は破壊を免れ6~8世紀に造られたとされる緻密で繊細な神々の石像が荘厳な姿で残されています。
29 エローラ石窟群
文化遺産

インド
1983年
紀元756年から約1世紀の年月をかけ、ノミとカナズチでただの岩壁だった場所を繊細で緻密な神々の宿る祠へと変貌させたのは、人々の神への思いからなのか、それとも人間の無限の可能性を表現するためなのか。ただ言えることは、人間の造り上げた最高傑作がここにある、ということだけです。
30 アジャンター石窟群
文化遺産

インド
1983年
1819年に虎狩りに訪れたイギリス人騎兵隊士官が、偶然発見した石窟群です。1000年以上の眠りから覚めた壁画や石像は大変美しい姿で私達の訪れを待っていてくれました。多くの職人たちが思い思いに描き出したブッダや神々、人間の姿は私たちに語りかけるような優しいまなざしをしています。
31  ジャイプールにあるジャンタール・マンタール
文化遺産

インド
2010年
美術館にあるようなオブジェが並び、だけどどこか異空間に迷い込んだような奇妙な錯覚に陥る場所。ここは美術館でも異空間でもなく、約300年前に造られた天文台なのです。そしてその正確性は、占星術が盛んなインドで現在もこの天体観測器が使用されていることで証明されています。
32  アーグラ城塞
文化遺産

インド
1983年
1555年にムガル帝国第3代皇帝アクバル帝によって着工されたムガル帝国の栄光を象徴する建築物です。ただ、タージマハルを造った第五代皇帝シャー・ジャハーンが息子によって幽閉された場所でもあります。皇帝が幽閉された塔からは、愛する妃が眠るタージマハルが遠くに見え、毎日妃に思いをはせながら生涯を終えたことでしょう。
33 タージ・マハル
文化遺産

インド
1983年
ムガル帝国第五代皇帝シャー・ジャハーンが愛する妃のために造ったお墓です。ラージャスタン産の最高級白大理石を用い、22年の歳月をかけて造り上げました。そして自分自身のお墓はヤムナー河を挟んだ対岸に黒大理石で造ろうとしていたそうです。その計画は息子によりかなわぬ夢となり、現在は愛する妃の隣に寄り添うように眠っています。
34 ファテープル・シークリー
文化遺産

インド
1986年
ムガル帝国の歴史の中で14年間だけ首都だった場所です。この都を造ったアクバル帝は、宗教に対し柔軟な姿勢を持っていたため、イスラムとヒンドゥーの建築様式が融合されており、建築史上重要な場所でもあります。なお、「ムガル」とはペルシャ語で「モンゴル」という意味で、ムガル帝国初代皇帝はチンギス・ハーンの血を引いているそうです。
35 レッド・フォートの建造物群
文化遺産

インド
2007年
別名「ラール・キラー」と呼ばれるこのお城はタージマハルを建設したシャー・ジャハーンが都をアーグラからデリーに移した際に建てられました。その後、息子により外壁と門が防衛上補強され、美しく装飾された門が隠されてしまいましたが、そのことについて彼は「美女の顔を隠すヴェールのように」と語ったそうです。
36 ブッダガヤの大菩提寺
文化遺産

インド
2002年
アショーカ族の王子であったシッダールタは35歳の時、49日間の瞑想後ついに悟りを開き「ブッダ(覚者)」となりました。その悟りを開いた場所がまさにこの菩提樹の木の下です。仏教の影響を多く受けている日本文化。もし彼が覚りを開いていなかったら現在の日本はどのようになっていたのか・・・。そのくらい日本人にとっても感慨深い場所なのではないでしょうか。
37 カトマンズの谷
文化遺産

ネパール
1979年/
2006年
大昔、湖の底だったと言われているネパールの首都、カトマンズ。インドとチベットの交易の中継地点としても栄えていました。現在のネパールは観光収入が国益の20%を占めているそうです。大気汚染や急速な都市化により、危機遺産にもなりかねない遺産ですが、ヒマラヤ山脈の美しさとネパールの人々の温かさがあれば観光客が減ることは無いでしょう。

↑TOPへ

Middle East
NO. 遺跡名称/登録種類 国/登録年 写真 コメント
38 バハラァ・フォート
文化遺産

オマーン
1979年
バハラァはオマーンの首都、マスカットから208km離れた場所にあります。12~15世紀ごろにこの地方を治めていたバヌ・ネブハン族が建設しました。高さ約50m・全長約12kmにも及ぶ城壁が町を取り囲んでいます。現在は当時の堅牢さを取り戻すべく修復工事が進んでいます。
39 アフラージュ(灌漑用水路)
文化遺産

オマーン
2006年
オマーンでは現在でも使用されているファラージュ(灌漑用水路)が3000以上もあるそうです。そのうちニズワ周辺の5つの水路が世界遺産として登録されています。ニズワフォート内部などには井戸やファラージュも残されており、当時の人々の生活も垣間見ることが出来ます。
40 エルサレム旧市街と
その城壁群
文化遺産
(危機遺産)

エルサレム
1981年
(ヨルダンにより
申請)
エルサレム旧市街はユダヤ教、イスラム教、キリスト教、そしてアルメニア人の4つの地区に分かれています。ただその境目ははっきりしておらず、イスラム教地区にキリスト教会が建っていたりします。また、エルサレムはイスラエル国内にありますが、この遺産の申請はヨルダン、そしてイスラエルではなくエルサレムとして登録されています。そこにこの国と周辺諸国との隔たりが感じられます。
41  ペトラ
文化遺産

ヨルダン
1985年
インディージョーンズ・最後の聖戦の撮影舞台として、あまりにも有名なペトラ遺跡。未だに解明されていない謎が多く、なんの目的で掘られたのかも不明な遺跡が多いようです。建造物自体はかなり広い範囲に点在し、観光には丸1日を要する巨大遺跡群。目の前に立つとその巨大さに圧倒されます。ここに立っていると冒険家になった気分になるのは気のせいでしょうか・・・
72 イスタンブール歴史地区
文化遺産

トルコ
1985年
 
イスタンブール歴史地区の歴史は4世紀ごろまでさかのぼります。その当時はコンスタンティノープルと呼ばれ東ローマ帝国の帝都として栄えていました。そして15世紀にオスマン帝国に占拠され、名前をイスタンブールに変更されました。その際、キリスト教会だった建物を壊さずにモスクなどに転用したため、現在でも当時の建物や内部の壁画が残されています。これは他の建物にもみられるように、現在のイスタンブールでは古い建物を新しく改築して利用している建物が目立ちます。
73 サフランボル市街
文化遺産

トルコ
1994年
サフランボルは元々サフランの産地だったことから名前がつきました。そして13世紀には交易で栄え、特に商人隊(キャラバン)の宿場町として多くの人がここで寝泊まりしていたそうです。そしてその建物が当時のオスマン建築であり、現在もその形を残しています。そのため、ここの住民はこの建物を保存していくことに大変努力しており、新しい建物はほとんどなく、古い建物を修復する際も、古い部分を極力壊さぬようにしているそうです。その甲斐があって世界遺産登録となり、衰退していた町に多くの観光客が訪れるようになりました。
74 ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟群
複合遺産

トルコ
1985年
アナトリア高原の火山によって形成された大地が浸食し、上部の固い地層を残したまま下部の地層がより浸食されたためにできたキノコ岩。そして浸食後の谷となった場所に人々は生活を始めます。そこに残る数々の住居や教会、その内部のフレスコ画を含めてこの場所は複合遺産として登録されました。おそらく現在も浸食は続いており、今後どのようにこの奇岩を保存していくのか検討されるでしょう。もしくは自然のままに消えていくのかもしれません。
75 ヒエラポリス-パムッカレ
複合遺産

トルコ
1988年
この世界遺産は、写真の温泉から沈殿された石灰で形成された段丘の「パムッカレ」が非常に有名ですが、パムッカレの周辺には古代ローマ帝国の都市「ヒエラポリス」があります。円形劇場やローマ浴場をはじめ、多くの遺跡が残っていますが残念ながら度々起こる大地震により破壊されてしまっている遺跡もあります。また、ここには古代遺跡が沈んでいる温泉プールもあり、時を超えてもなお人々は温泉に癒されているんだなぁと実感します。

↑TOPへ

Africa
NO. 遺跡名称/登録種類 国/登録年 写真 コメント
42 メンフィスとその墓地遺跡
ギザからダフシュールまでのピラミッド地帯
文化遺産

エジプト
1979年
エジプトと言えば、誰もが想像するのがギザにある3つの巨大なピラミッドでしょう。ただ、ピラミッドはギザだけではありません。古代エジプト古王国時代の首都メンフィスやその周辺には屈折ピラミッド、赤ピラミッドと呼ばれる建造物や遺跡がたくさんあります。もし時間があるのであれば、そちらの遺跡群も見て回ることをお勧めします。
43 カイロ歴史地区
文化遺産

エジプト
1979年
エジプトの首都、カイロの新市街から東へ進むといくつものイスラム教寺院が見えてきます。その数は数百とも言われており、その多くが1250年~1517年のマムルーク朝時代のものです。また、このイスラーム地区にあるハーン・ハリーリというバザールはお土産屋がたくさんあります。ここでは客引きとの値段交渉が必須。是非自分のほしいものを値切って買い物をしましょう。
44 アブ・シンベルから
フィラエまでの
ヌビア遺跡群
文化遺産

エジプト
1979年
アスワンダム建築にあたり、水没の危機にあった遺跡のひとつです。この遺跡を水没させないためにUNESCOが現在の場所に移築しました。それを期に世界遺産条約が成立し、人々の遺跡保全に対する意識が高くなりました。まさにこの遺跡群こそが世界遺産の始まりです。「何とかこの遺跡を残したい。」そんな当時の人々の想いは現在も人々をひきつけてやまないこの遺跡をみれば一目瞭然です。
45 古代都市テーベと
その墓地遺跡
文化遺産

エジプト
1979年
エジプトに現存する巨大遺跡群の中でも特に数が多いのがこの遺跡群です。歴代のファラオたちは自分の権力を誇示するかのように多くの巨大遺跡を建設しました。その大きさと美しさはまさに圧巻です。葬祭殿や神殿、お墓など、遺跡ファンにとっては見どころ満載の遺跡群です。その遺跡群の間にひっそりとただずんでいる町があります。そこはかつてこの巨大建造物を建てていた労働者の町です。彼らの家の跡はとっても質素でこじんまりとしていたのがとても印象的でした。
46 グレートリフトバレーの
ケニア湖水システム
自然遺産

ケニア
2011年
日本語で「大地溝帯」と呼ばれるグレートリフトバレーはアフリカ大陸を南北約7000km縦断する谷です。そしてこの付近には温泉や間欠泉、湖もあり多くの野鳥や動物のすみかにもなっています。2011年に世界遺産として登録された新しい物件のため、全く知りませんでした。この断崖とはるかかなたまで続く大地を見た時、ワタシのイメージするアフリカがまさに目の前にありました。
47 モシ・オ・トゥニャ/
ヴィクトリアの滝
自然遺産

ジンバブエ
1989年
ジンバブエとザンビアの国境沿いに位置する世界三大瀑布の一つです。1885年にイギリスの宣教師であり探検家のリビングストンによって発見されました。この滝は雨季と乾季の水量が顕著に違い、その差は約10倍もあります。現在は国境にかかる橋からのバンジージャンプやラフティングが観光客に人気で、両国の貴重な財源の一つにもなっています。
48 ロベン島
文化遺産

南アフリカ
1999年
 
19世紀にオランダ人がハンセン病患者の隔離施設として使用し、第二次世界大戦時にはイギリス軍が軍事基地として駐在、そして1960年代から非白人政治犯の刑務所として使用されました。どれも差別や戦争など人類の犯した過ちのために使用された島として1999年に「負の遺産」として登録されました。それはここに収容された人達の思いが、人種差別が「過ちである」と証明したのです。
49 ケープ植物区保護地域群自然遺産
南アフリカ
2004年
 
ケープ植物区は面積はあまり広くないものの、植物の多様性は他に類を見ないほど多く生育しています。またこの地域にはアフリカペンギンも成育しており、ケープタウン周辺の観光地化された街並みとは違いアフリカの自然の豊かさを垣間見ることが出来ます。そして喜望峰やケープポイントなど観光客に人気のスポットもこの中にあり、多く観光客で賑わっています。
87 マラケシュ旧市街
文化遺産

モロッコ
1985年
マラケシュとはベルベル語で「神の国」を意味しています。旧市街には宮殿や庭園などが残されており、モロッコタイルに彩られた宮殿はこの国独特の文化を象徴しているようです。また、旧市街近くにある「ジャマ・エル・フナ広場(通称フナ広場)の文化空間」は世界無形遺産にも登録されており、毎日お祭りのようなあの雰囲気は他のどの国でも味わえない特別な空間です。
88 フェズ旧市街
文化遺産

モロッコ
1981年
フェズの旧市街と言えば迷路のように入り組んだ路地が有名です。モロッコで一番古いと言われているこの旧市街は、現在でも荷物の運搬方法はロバや馬などの動物がメインです。メインの通りはお店がほとんどですが、一歩路地に入ってしまうと現地人の生活の場に早変わり。時代は変われどこの活気あるモロッコの雰囲気は1000年以上変わらなく続いていることでしょう。
         

▶South America 以降はコチラから


↑TOPへ

 Copyright (C) 2011-2013 RAINBOW All Rights Reserved.
inserted by FC2 system