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遺跡名称/登録種類 |
国/登録年 |
写真 |
コメント |
01 |
蘇州古典園林
文化遺産 |
中国
1997年
2000年追加登録 |
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今回見た“留園”はイメージしていた中国って感じでした。長い間この景観を損ねない様にきれいに手入れされてて良かったです。 |
02 |
明・清朝の皇帝陵墓群
文化遺産 |
中国
2000年
2003-04年追加 |
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皇帝のお墓だけあって規模の大きさにビックリ!このお墓に続く“神道”という道にはライオンやゾウなどの実物大に近い石蔵が並んでいてそれも見ごたえがありました。 |
03 |
泰山
複合遺産
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中国
1987年 |
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歴代の皇帝達は、ここを登ることによって皇帝と認められた、というくらい神聖な山です。登っていくにつれて変わる景色はちょっとだけ疲れを癒してくれました。 |
04 |
北京と瀋陽の明・清朝の皇宮群
文化遺産
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中国
1987年
2004年追加登録 |
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これぞまさに中国の歴史を物語るのに不可欠な建物です。まず天安門、そして故宮(紫禁城)を見学、最後に北側にある景山公園にいって全体を眺める。これがゴールデンルートです。 |
05 |
万里の長城
文化遺産 |
中国
1987年 |
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遠く遠くどこまでも続く長城を歩いていると、造っていた当時にタイムスリップしたような気持ちになりました。そしてこの長城を造り上げるために尽力した人達の思いを感じれた気がします。THE中国です。 |
06 |
頤和園、北京の皇帝の庭園
文化遺産 |
中国
1998年 |
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戦争中何度も壊されたこの頤和園を、その度に建て直した西太后。本当にこの庭園を愛し、年の3分の2をここで過ごしたといわれています。首都北京にあるとは思えないくらい広大で癒しの空間です。 |
07 |
秦の始皇陵
文化遺産 |
中国
1987年 |
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ある農民が井戸を掘ろうとしたら見つけてしまった遺跡です。こんなにも中国の歴史を揺るがすような大発見になるとは想像しなかったでしょう。一体一体に色が塗られていたのにもびっくりです。 |
08 |
四川ジャイアントパンダ保護区群
自然遺産
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中国
2006年 |
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“中国=パンダ”と言っても過言ではないくらい世界中で愛されている動物を保護していくのはとても大変なことだと思います。ただ、この愛らしい姿を見たらやっぱり未来の人たちにも見せてあげたくなります。 |
09 |
九寨溝の渓谷の景観と歴史地域
自然遺産 |
中国
1992年 |
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まさに秘境にある桃源郷です。人間には造りだせない自然の美しさを五感で感じることができます。この自然を壊さないように配慮された遊歩道やトイレは、人間が「この場所を見学させてもらっている」という気になります。 |
10 |
黄龍の景観と歴史地域
自然遺産 |
中国
1992年 |
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頑張って登った者にだけ見ることができるこの景色は、自然からのご褒美です。偶然が重なってできたこの自然美は見ていると時を忘れてしまいます。龍が水を飲みに来そうなほど神秘的でした。 |
11 |
ハノイ-タンロン王城遺跡中心地区
文化遺産 |
ベトナム
2010年 |
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タンロンとは首都ハノイの旧称で「昇竜(タンロン)」と書くそうです。約800年間ベトナムの諸王朝の都として栄えたため、いろんな時代の遺跡が残っています。ホーチミン廟のすぐ近くにあることもあり、神聖な場所のような気がしました。 |
12 |
ハロン湾
自然遺産 |
ベトナム
1994年 |
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ハロンという名は上記のタンロンとは対して「下竜(ハロン)」と書きます。竜が下りてくる湾と呼ばれ、伝説も残っています。石灰岩の島々が数千点在し、そこに住む人々もいます。船でクルージングをしているととても穏やかな気持ちになりました。 |
13 |
フエの建造物群
文化遺産 |
ベトナム
1993年 |
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フエは19世紀に阮朝の都が置かれた場所です。ベトナム戦争で激戦地となり、多くの建物が破壊されてしまいましたが、現在、貴重な建築は復元中です。阮朝王宮の中に入ったとたん、気持ち良い風と静けさが暑さを忘れさせてくれました。 |
14 |
古都ホイアン
文化遺産 |
ベトナム
1999年 |
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ホイアンは日本ととても関係が深く、江戸時代に朱印船貿易によって多くの日本人がこの場所を訪れ、日本人街を形成しました。この町で一番有名なのが通称「日本橋」と呼ばれる橋で、当時から様々な人種の人がここを渡っていたことでしょう。 |
15 |
ミーソン聖域
文化遺産 |
ベトナム
1999年 |
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2~17世紀にかけて栄えたチャンパ王国の建造物群で、インドなどからの移民が多かったためヒンドゥー教の神々のレリーフが残されています。王朝が滅びた後、20世紀に入って発見されました。現在も謎が多く残る遺跡です。 |
16 |
アンコール
文化遺産 |
カンボジア
1992年 |
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アンコールの遺跡群はとても広範囲に分布されており、1日ではとても足りません。すべての遺跡が違う時代に造られているため、どの場所に行っても様々な素晴らしいレリーフが遺跡を埋め尽くしています。カンボジアの国旗に記されているように、カンボジア人にとってアンコールは世界に誇るべき建築です。 |
17 |
ルアン・パバンの町
文化遺産 |
ラオス
1995年 |
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1975年にラオスで起きた革命以前はここに王宮が置かれていました。現在でも旧王宮や寺院などが数多くの残っています。観光客が増えた今でも街並みは変わらず、日本の田舎に来たような懐かしさを感じる場所でもあります。 |
18 |
古代都市スコタイと周辺の古代都市群
文化遺産 |
タイ
1991年 |
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12世紀頃、中国雲南からきたタイ族がアンコール王朝を破って建国しました。「自由の夜明け」という意味のスコータイには様々な様式の遺跡が公園内に点在してます。木々の中にひっそりとたたずむ遺跡には、何か不思議な雰囲気が漂っています。 |
19 |
マラッカとジョージタウン、マラッカ海峡の古都群
文化遺産 |
マレーシア
2008年 |
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マラッカとジョージタウンは、マラッカ海峡の東洋と西洋の交易と文化交流の場として栄えてきました。ペナン島のジョージタウンは、18世紀頃英国の植民地時代に建てられた建物が残されています。現在は中国から渡ってきた華僑の人々によってこの街並みが保護されているといっても過言ではありません。英国式の建物に中国語の看板が、この街をユニークなものにしているのでしょう。一方、マラッカは16世紀よりポルトガルやオランダによる統治の影響が深く残された教会や建物が残っており、ヨーロッパの雰囲気を今も残しています。 |
20 |
聖地キャンディ
文化遺産 |
スリランカ
1988年 |
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シンハラ人のウダラタ王国最後の都、キャンディは現在スリランカ中部の最大都市であり、スリランカに来た観光客が必ず訪れる場所と言っても過言ではありません。ここには仏陀の犬歯がおさめられている仏歯寺があるのがこの地が聖地と言われるゆえんです。仏教と深く結びついている場所でありながら、通りを歩いているとなぜかヨーロッパにいるような感覚になるのはこの町の魅力かもしれません。 |
21 |
スリランカ中央高原
自然遺産 |
スリランカ
2010年 |
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スリランカの中央高原は、1つ国立公園、1つの自然保護区、そして1つの保護森林によって構成されています。これらの熱帯雨林群は標高約2500mまで達し、この島固有の動植物が数多く生息しています。保護区内にある山「スリーパーダ」は山岳信仰の山であり、また別名を「サマナラ・カンダ」とも言い蝶々が乱れ飛ぶ姿も有名です。 |
22 |
ダンブッラの黄金寺院
文化遺産 |
スリランカ
1991年 |
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洞窟の中にいくつもの釈迦像と保存状態のよい壁画が残されているこの黄金寺院の歴史は、紀元前3世紀ごろまでさかのぼります。それ以来数多く増築がなされ、黄金寺院はスリランカでも重要な仏教寺院として発展を遂げました。また、釈迦像の他にも、スリランカ王の像やヒンドゥー教の神像が置かれているのがこの寺院のおもしろいところかもしれません。 |
23 |
古代都市シギリヤ
文化遺産 |
スリランカ
1982年 |
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スリランカの世界遺産で最も有名な物件であるシギリヤ。実父の王を殺害し、自ら王になった息子が岩山の上に宮殿を建てました。その後実弟との戦いに敗れ、自害したという歴史があります。岩山を頂上まで登ると宮殿跡が残っており、またそこからは360℃の大パノラマが広がっています。そして絶壁に描かれている「シギリヤレディー」は現在もその美しさで訪れる人を魅了しています。 |
24 |
古代都市ポロンナルワ
文化遺産 |
スリランカ
1982年 |
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1017年から1255年までスリランカの首都として栄えたポロンナルワ。タミル系民族により追いやられたように移された首都だが、交易と農業が栄え、特に灌漑設備は乾季でも農耕を可能にしました。また、現在はキャンディにある仏陀の歯も、当時はポロンナルワの仏歯寺に置かれ、現在でも多くのスリランカ人がこの地を訪れています。 |
25 |
ゴール旧市街とその要塞群
文化遺産 |
スリランカ
1988年 |
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コロンボより南へ約120kmの場所にある南部州の州都であるゴールは、18世紀のオランダ植民地時代に大きく発展しました。なかでも旧市街を囲む城壁はアジア最長となっています。写真の建物は珍しいヨーロッパ建築のイスラム教モスクです。街並みはヨーロッパ風の建物だがどこかアジアを感じるという面白い風景です。 |
26
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ゴアの教会群と修道院群
文化遺産 |
インド
1986年 |
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ヒンドゥー教のイメージの強いインドですが、ここゴアはポルトガルの植民地だったこともあり、キリスト教が深く根付いている印象があります。また、教会隣にある博物館では、現地人に脅迫されながらも布教をつづける宣教師たちを描いた絵画が展示されており、彼らのキリスト教に対する思いをうかがい知ることが出来ます。 |
27 |
チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅
(旧名ヴィクトリアターミナス)
文化遺産 |
インド
2004年 |
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まるで大聖堂のような壮麗な外観を持つこの駅は、現在も利用されている現役の駅であり、またインド最大の乗降客数を誇る駅でもあります。ヴィクトリアン・ゴシック様式でムンバイのコロニアル建築を代表し、10年をかけて1887年に完成しました。ここから電車にのって旅に出たら、どこかにタイムスリップできそうな気がします。 |
28 |
エレファンタ石窟群
文化遺産 |
インド
1987年 |
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ムンバイから船に乗り約1時間の場所にあるエレファンタ島は、16世紀にポルトガル人が巨大なゾウの石像を発見したことからそう呼ばれるようになりました。7窟あるヒンドゥー教の石窟寺院のうち6つはポルトガル人によって破壊されましたが、第1窟は破壊を免れ6~8世紀に造られたとされる緻密で繊細な神々の石像が荘厳な姿で残されています。 |
29 |
エローラ石窟群
文化遺産 |
インド
1983年 |
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紀元756年から約1世紀の年月をかけ、ノミとカナズチでただの岩壁だった場所を繊細で緻密な神々の宿る祠へと変貌させたのは、人々の神への思いからなのか、それとも人間の無限の可能性を表現するためなのか。ただ言えることは、人間の造り上げた最高傑作がここにある、ということだけです。 |
30 |
アジャンター石窟群
文化遺産 |
インド
1983年 |
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1819年に虎狩りに訪れたイギリス人騎兵隊士官が、偶然発見した石窟群です。1000年以上の眠りから覚めた壁画や石像は大変美しい姿で私達の訪れを待っていてくれました。多くの職人たちが思い思いに描き出したブッダや神々、人間の姿は私たちに語りかけるような優しいまなざしをしています。 |
31 |
ジャイプールにあるジャンタール・マンタール
文化遺産 |
インド
2010年 |
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美術館にあるようなオブジェが並び、だけどどこか異空間に迷い込んだような奇妙な錯覚に陥る場所。ここは美術館でも異空間でもなく、約300年前に造られた天文台なのです。そしてその正確性は、占星術が盛んなインドで現在もこの天体観測器が使用されていることで証明されています。 |
32 |
アーグラ城塞
文化遺産 |
インド
1983年 |
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1555年にムガル帝国第3代皇帝アクバル帝によって着工されたムガル帝国の栄光を象徴する建築物です。ただ、タージマハルを造った第五代皇帝シャー・ジャハーンが息子によって幽閉された場所でもあります。皇帝が幽閉された塔からは、愛する妃が眠るタージマハルが遠くに見え、毎日妃に思いをはせながら生涯を終えたことでしょう。 |
33 |
タージ・マハル
文化遺産 |
インド
1983年 |
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ムガル帝国第五代皇帝シャー・ジャハーンが愛する妃のために造ったお墓です。ラージャスタン産の最高級白大理石を用い、22年の歳月をかけて造り上げました。そして自分自身のお墓はヤムナー河を挟んだ対岸に黒大理石で造ろうとしていたそうです。その計画は息子によりかなわぬ夢となり、現在は愛する妃の隣に寄り添うように眠っています。 |
34 |
ファテープル・シークリー
文化遺産 |
インド
1986年 |
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ムガル帝国の歴史の中で14年間だけ首都だった場所です。この都を造ったアクバル帝は、宗教に対し柔軟な姿勢を持っていたため、イスラムとヒンドゥーの建築様式が融合されており、建築史上重要な場所でもあります。なお、「ムガル」とはペルシャ語で「モンゴル」という意味で、ムガル帝国初代皇帝はチンギス・ハーンの血を引いているそうです。 |
35 |
レッド・フォートの建造物群
文化遺産 |
インド
2007年 |
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別名「ラール・キラー」と呼ばれるこのお城はタージマハルを建設したシャー・ジャハーンが都をアーグラからデリーに移した際に建てられました。その後、息子により外壁と門が防衛上補強され、美しく装飾された門が隠されてしまいましたが、そのことについて彼は「美女の顔を隠すヴェールのように」と語ったそうです。 |
36 |
ブッダガヤの大菩提寺
文化遺産 |
インド
2002年 |
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アショーカ族の王子であったシッダールタは35歳の時、49日間の瞑想後ついに悟りを開き「ブッダ(覚者)」となりました。その悟りを開いた場所がまさにこの菩提樹の木の下です。仏教の影響を多く受けている日本文化。もし彼が覚りを開いていなかったら現在の日本はどのようになっていたのか・・・。そのくらい日本人にとっても感慨深い場所なのではないでしょうか。
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37 |
カトマンズの谷
文化遺産 |
ネパール
1979年/
2006年 |
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大昔、湖の底だったと言われているネパールの首都、カトマンズ。インドとチベットの交易の中継地点としても栄えていました。現在のネパールは観光収入が国益の20%を占めているそうです。大気汚染や急速な都市化により、危機遺産にもなりかねない遺産ですが、ヒマラヤ山脈の美しさとネパールの人々の温かさがあれば観光客が減ることは無いでしょう。 |