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遺跡名称/登録種類 |
国/登録年 |
写真 |
コメント |
60 |
ライン渓谷中流上部
文化遺産 |
ドイツ
2002年 |
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ドイツでは「父なる川」と呼ばれているライン川はローマ時代からヨーロッパの重要な輸送ルートとして沿岸の町とともに発展してきました。ライン川沿岸には古城や古い街並、教会や修道院などが立ち並び、有名な「ローレライ」の岩も見ることが出来ます。 |
61 |
ケルン大聖堂
文化遺産 |
ドイツ
1996年
2008年 |
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正式名称を「ザンクト・ペーター・ウント・マリア大聖堂」というとても有名なケルン大聖堂。ゴシック様式の建物では世界最大ですが、現在の建物は3代目ですが一度財政難に陥り、数世紀の間工事が中断していたとのことです。そんなケルン大聖堂も現在ではドイツ人の中でも人気ナンバーワンの建造物だそうです。 |
62 |
ヴュルツブルク司教館、
その庭園群と広場
文化遺産 |
ドイツ
1981年 |
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バロック建築を代表するこの建築物は「レジデンツ」とも呼ばれ、天災建築士と言われたバイタザール・ノイマンにより設計されました。ここで一番目を引くのは「階段の間」と呼ばれる吹き抜けの天井にかかれた画で、世界で一番大きいフレスコ天井一枚画と言われています。 |
63 |
ウィーン歴史地区
文化遺産 |
オーストリア
2001年 |
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ローマ時代からの歴史を持つウィーンは、中世にはハプスブルグ帝国の首都として栄えました。特にバロック様式の建物は秀でて傑作とされ、世界遺産に選出されました。また現在では「音楽の都」として数々の作曲家を生んだ歴史的にも重要な都市となっています。 |
64 |
シェーンブルン宮殿と庭園群
文化遺産 |
オーストリア
1996年 |
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シェーンブルン宮殿はウィーン市街から少し離れた場所に建てられたハプスブルグ家の宮殿です。ここは主に、貴族の夏の離宮として、また町の雑踏から離れるために造られたと言われています。部屋数は1400室以上、また庭園には日本庭園の他に巨大迷路や動物園もあります。宮殿が黄色で塗られているのは、黄金にする計画だったのが財政状況を考えて一番近い黄色にしたとの事です。 |
65 |
プラハ歴史地区
文化遺産 |
チェコ共和国
1992年 |
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モルダウ川を挟んで東岸に旧市街やユダヤ地区、西岸にプラハ城、そしてモルダウ川に架かるカレル橋など歴史的建造物が数多く建ち並ぶチェコ共和国の首都プラハ。11世紀から18世紀にかけての様々な建築様式の建物がそのままの形で現在に残っています。数々の激動の時代を生きてきたこの建物達には現代のプラハはどのように映っているのでしょうか。 |
66 |
クラクフ歴史地区
文化遺産 |
ポーランド
1978年 |
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現在ポーランドの首都はワルシャワですが、17世紀初頭に遷都されるまではここクラクフがポーランド王国の首都でした。ポーランドは隣国からの侵略や分裂により一つの国家として独立するのが困難な時代が長く続きました。そんななか中世の時代からユダヤ人地区が存在し、映画「シンドラーのリスト」の舞台もここクラクフに存在します。毎年7月に世界最大規模のユダヤ音楽祭が行われ、ポーランドから各国に移住したユダヤ人たちも訪れて盛大に開かれるそうです。 |
67 |
アウシュヴィッツ・ビルケナウ ナチスドイツの強制絶滅収容所(1940-1945)
文化遺産 |
ポーランド
1979年 |
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ユダヤ人というだけで強制的に連行され、到着するとすぐにガス室で殺されました。ここアウシュヴィッツでは約150万人の人々が残酷な死をとげました。そのなかの90%がユダヤ人だったそうです。老若男女関係なく、ただユダヤ人という理由だけで。収容所の入口には「働けば自由に」という看板が掲げられています。ただ、自由になった人はだれ一人いませんでした。十分に食事も与えられず毎日過酷な労働を強いら死んでいった人もたくさんいたそうです。看板の「B」の文字が逆さまなのは彼らのできる限りの反抗の証と言われています。 |
68 |
ドナウ河岸、ブダ城地区及びアンドラーシ通りを含むブダペスト
文化遺産 |
ハンガリー
1987年/
2002年 |
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ブダペストはもともと、ドナウ川西岸のブダ、その北側のオーブダ、東岸のペストの3都市でしたが、1800年代後半に合併されブダペストと呼ばれるようになりました。オーブダにはローマ帝国支配時代のコロッセオなど、ブダには王宮、そしてペストには両岸を結ぶくさり橋があり、王宮の丘から望むくさり橋はまさに絶景です。 |
69 |
ペーチ(ソピアネ)にある初期キリスト教墓地遺跡
文化遺産 |
ハンガリー
2000年 |
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ハンガリーの首都ブダペストから約200km南に位置するペーチには、ハンガリー最古の大学があります。そしてここはローマ帝国時代に交易で栄えました。そしてここには4世紀頃に建設された地下墓地が残されており、貴重な歴史的遺産として保存されています。内部を見るとアダムとイブの壁画や彫刻が残され、、当時すでに装飾の習慣があったことが分かります。 |
70 |
リラ修道院
文化遺産 |
ブルガリア
1983年
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ブルガリア正教会の修道院で、ブルガリアの首都ソフィアから南へ約3時間の山間部にあります。ひっそりとたたずむこの修道院は数々の襲撃に会いながらも、オスマン帝国時代にはブルガリア全土で禁止されていたブルガリア語や正教会の信仰もここだけは黙認されていたそうです。19世紀前半の火災により破壊され後も国民の寄付により建て直され、見事なフレスコ画も復活しました。現在でも巡礼者はもとより、観光客が大勢訪れる場所となっています。 |
71 |
ボヤナ教会
文化遺産 |
ブルガリア
1979年 |
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首都ソフィアの郊外にあるこのボヤナ教会が最初に建てられたのは11世紀前後と言われています。その後増築を繰り返したため、この建物には3つの時代の建築技術が見られます。そして内部のフレスコ画が実に特徴的で、12世紀に最初に描かれてから何度も別の画が上書きされています。現在はその画が所々剥がれ落ち、何代も前のフレスコ画を少し見ることが出来ます。 |
76 |
アテネのアクロポリス
文化遺産 |
ギリシャ
1987年 |
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ギリシャの首都アテネにあるアクロポリスは大都会にありながら、ここだけが他の場所と違い神聖な空気を漂わせています。ギリシャの中でも最も有名な観光スポットですが現在は大がかりな修復を行っており、特にパルテノン神殿は当時のものと同じように復元されるそうです。もし完成したら、ギリシャ神話に出てくる神々が集う場所になるかもしれません。 |
77 |
メテオラ
複合遺産 |
ギリシャ
1988年 |
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この奇岩群に建てられている修道院は14世紀ごろから建てられ始めましたが、それ以前は修道士たちが個々で洞窟などに住み、瞑想や修行を始めたそうです。24あった修道院も尼僧院も含め現在6つが活動しています。より神に近づくため、俗世界から離れる為に建てられた修道院。それほど修道士にとって神とは偉大な存在なのでしょう。しかし、この奇岩がどのように形成されたか分かっていません。それだけに自然の偉大さも感じる場所です。 |
78 |
コトルの自然と
文化-歴史地域
文化遺産 |
モンテネグロ
1979年 |
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日本人にはあまりなじみのないモンテネグロですが、とても自然豊かで有名な国です。そしてこのコトルという町はアドリア海に面したリアス式海岸で一番奥に位置しています。町自体はとても小さく1日あれば観光は十分できます。特に訪れてほしいのは街と湾が一望できる城壁です。城壁は街の裏の山に沿って建っていて見晴らしは抜群です。 |
79 |
モスタル旧市街の
古橋地区
文化遺産 |
ボスニア・
ヘルツェゴビナ
2005年 |
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モスタルの歴史は古く、先史時代の遺跡も確認されています。オスマン朝時代には交易の中継点として栄え、その時に有名な橋「スタリ・モスト」が造られました。その橋の構造はとても優れており、当時どのようにこの橋が架けられたのか残念ながら文献は残っていないそうです。1990年代のボスニア紛争時には一度破壊されてしまいましたが、2000年代に各国の援助によりモスタル周辺の再建が行われました。訪れた時はじっくり見ることができませんでしたが、この写真を見ると本当に美しい形をした橋だと納得します。 |
80 |
ドゥブロブニク旧市街
文化遺産 |
クロアチア
1979年/
1994年 |
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「アドリア海の真珠」と言われるほど美しい街並みを残すドブロヴニク旧市街。その街並みもさることながらアドリア海の美しさは日の当たり具合によって7色に輝くと言っても過言ではありません。その美しい海と街並みが観光客を引き付けるのは当然です。そして多くのフェリーや大型客船も停泊する港があり、いつかは豪華客船に乗ってこの地を訪れられたら素敵ですね。 |
81 |
ヴェネツィアとその潟
文化遺産 |
イタリア
1987年 |
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「水の都」や「アドリア海の女王」と呼ばれるヴェネツィアの歴史は7世紀ごろから始まります。現在に至るまでこの都市の主な交通は船やゴンドラと呼ばれる手漕ぎボートです。そのせいか車のクラクションや排気ガスなどの公害が無く、ゆったりとした時間が流れている感じがします。また、迷路のように続く細い路地のあちこちにヴェネツィア名物の仮面が売られており、どこか不思議な世界に迷い込んでいるようなドキドキも味わえることろがこの街の魅力です。 |
82 |
フィレンツェ歴史地区
文化遺産 |
イタリア
1982年 |
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白い壁に赤い屋根の街並みといえばここイタリアのフィレンツェが一番でしょう。イタリア・ルネッサンス(=再生)が始まったこの都市は「屋根のない博物館」と呼ばれるほど色んな場所に素晴らしい芸術作品が見られます。建築、彫刻、絵画だけでなくふと見上げた家の窓枠やドアのノックまでもがアンティーク調で他の都市には見られないユニークさがあります。町を歩くだけで芸術に触れられる。多くの人がこの都市に長居してしまう理由がよく分かります。 |
83 |
ローマ歴史地区、
教皇領とサン・パオロ・
フオーリ・レ・ムーラ大聖堂
文化遺産 |
イタリア/
ヴァチカン市国
1980年/
1990年 |
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ローマの始まりにはある伝説があります。王の命令で川に流されてしまった双子の男の子をオオカミが育てたというものです。その双子のひとりがパラティーノの丘にローマを築いたそうです。そして世界で一番小さい国、ヴァチカン市国。約1000人の住人がいるそうですが、世界中で10億人の信者いるというローマ・カトリックの総本山です。ローマもヴァチカンも歴史的、宗教的、芸術的見どころがたくさんあり、地図を見ているだけでもワクワクする場所です。 |
84 |
ナポリ歴史地区
文化遺産 |
イタリア
1995年 |
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ピッツァやパスタなどのイタリアを代表する料理、カプリ島など近くの観光名所が有名、且つ治安があまり良くないという噂もあるため日帰りで訪れる人が多いナポリですが、街自体見どころが多く、治安も観光客が訪れる所はそれほど心配する必要はありません。ローマなどイタリア北部の観光地に比べ人も少なくゆっくりと海を見ながら食べるイタリア料理は最高です。 |
85 |
ポンペイ、エルコラーノ
及びトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域
文化遺産 |
イタリア
1997年 |
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79年にヴェスヴィオ火山が噴火し、一夜にして地中に埋もれた都市、ポンペイ。その存在が16世紀に発見され18世紀に本格的な発掘調査が始まりました。そして次々と明らかになる当時の高度な技術と生活様式。そして埋もれていたために風化せずに残っていた当時のフレスコ画や彫刻、そして人々の最期の姿。ここまで当時の姿がありのまま残っている遺跡は本当に珍しいです。この遺跡を歩いていると、荷台を引く馬の蹄の音が聞こえてきそうです。 |
86 |
アマルフィ海岸
文化遺産 |
イタリア
1997年 |
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日本の映画で有名になったこのアマルフィ海岸には海岸沿いの斜面に小さな町がたくさん点在しています。そしてこの町の名産は、レモン。暑い太陽の日差しを浴びて育ったレモンはこのアマルフィを象徴するフルーツでもあります。街にはレモンで造られたリキュールやアイス、レモンを描いた陶器などがうられており、まさにレモン一色でした。 |
89 |
ブリュッセルの
グラン-プラス
文化遺産 |
ベルギー
1998年 |
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ベルギーの首都ブリュッセルの中心にあるこの大広場は世界一美しい広場と称され、詩人であり小説家のヴィクトル・ユーゴーもこの広場を大絶賛したと言われています。広場の周りには市庁舎や王の家、ギルドハウスと呼ばれる建物が建っています。現在では一番の観光名所となり、ここから徒歩圏内にあの「小便小僧」の像も見ることができます。また、シーフード料理のレストランやチョコレート・ワッフルなどのベルギー名物が売られており、美味しい匂いについつい誘われてしまいます。 |
90 |
ヴェルサイユ宮殿と庭園
文化遺産 |
フランス
1979年/
2007年 |
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パリの南西約30kmの場所に王族の館が建てられたのは1624年ルイ13世でした。その後ルイ14世が増築を重ね現在のような宮殿に仕上げていきました。広大な敷地に豪華な建物と美しい庭園。まさに当時のフランスの絶対王政を象徴するような建物です。ここにはマリーアントワネットも住んでいました。またこの宮殿で一番有名な鏡の間はフランスの歴史の中でも重要な場面でここが使われています。 |
91 |
パリのセーヌ河岸
文化遺産 |
フランス
1991年 |
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パリの中心を流れるセーヌ川のシェリー橋からイエナ橋までの約8kmが世界遺産に登録されています。そしてこの付近にはパリの観光では外せないノートルダム大聖堂やエッフェル塔、コンコルド広場やルーブル美術館などもあります。この写真に写っている建物はセーヌ川の中州にあるシテ島に建つ「コンシェルジュリー」です。ここは一時期牢獄としても使用され、マリーアントワネットが閉じ込められていた場所です。 |
92 |
アントニ・ガウディの作品群
文化遺産 |
スペイン
1984年/
2005年 |
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ガウディの作品を見た瞬間、誰もが童心に戻り心が躍ります。自然の中からデザインのヒントを得ているため、子供のころよっく走り回った草むらを思い出すのでしょうか。鮮やかな色彩と緩やかな曲線が見る人の心を穏やかにさせます。この奇抜なアイディアに投資をしたグエル氏やサグラダファミリアの設計を依頼した方々もガウディのような豊かな心を持った人たちだったからこそ、彼のデザインが実現されたんだと思います。 |
93 |
バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院
文化遺産 |
スペイン
1997年/
2008年 |
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まるで教会か宮殿のようなたたずまいの病院。ガウディのライバルと呼ばれたリュイス・ドメネク・イ・モンテネールの作品で、実際に2009年までこの病院は使われていました。ガウディと歳はそんなに離れていませんが実はガウディは彼の教え子だったのです。「芸術は人を癒す力がある」という理念を持ったモンテネール。ピンクの壁に所狭しと施された装飾。見れば見るほど癒されるこの建物は、まさに彼の言葉通りです。 |
94 |
バレンシアの
ラ・ロンハ・デ・ラ・セダ
文化遺産 |
スペイン
1996年 |
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15世紀後半に建てられたこのこの建物。「ラ・ロンハ・デ・ラ・セダ」という名前のとおり、もともとは絹の商品取引所として使われていました。また、ここには裁判所や牢獄などもあり、スペイン初の商事裁判所として機能していたそうです。写真の場所は「柱のサロン」と呼ばれ、当時は金融業務行うために使われていました。内装のみならず入口の扉の彫刻も他にはないユニークな作品が彫られており、こんな素敵な場所が取引所だったという意外な使われ方に驚きました。 |
95 |
グラナダのアルハンブラ、
ヘネラリーフェ、
アルバイシン地区
文化遺産 |
スペイン
1984年/
1994年 |
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ナスル朝、そしてスペインにあるイスラム建築の最高傑作と呼ばれるこのアルハンブラ宮殿、とにかく壁一面に彫られた彫刻は圧巻です。モロッコにもすばらしい建築はたくさんありましたが、アルハンブラ宮殿は群を抜いていました。また、宮殿内も同じ敷地内にあるヘネラリーフェの庭園も、暑いグラナダの夏とは思えないほど涼しく快適でした。 |