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World Heritage -Part2-

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South America
NO. 遺跡名称/登録種類 国/登録年 写真 コメント
50 ロス・グラシアレス
自然遺産

アルゼンチン
1981年
ロス・グラシアレスとはスペイン語で氷河という意味で、パタゴニア地方にある氷河群は南極、グリーンランドの次に大きいと言われています。特にこの国立公園内にあるペリト・モレノ氷河は全長30㎢におよび、水面上の高さは約60m、1日に2m、約400年の年月をかけ最終地点にやって来ます。残念ながら太陽の下で氷河を見ることはできませんでしたが、あの氷の青色はとても神秘的でした。
51 バルパライーソの海港都市の歴史的街並み
文化遺産

チリ
2003年
チリの首都サンティアゴから北西120kmに位置するバルパライーソはチリの主要な港として、また文化的中心地として有名です。そしてこの町をより有名にしているのが遠くの丘まで無数に建つ家々。一度路地に入ってしまうと上ったり下ったり行き止まりだったり。歩くのに疲れてしまったら1883年に造られたアセンソレス(箱型エレベーター)に乗りましょう。でもカラフルでかわいい家を見ながら歩くのはあまり苦痛ではないかも。
52 ハンバーストーンとサンタ・ラウラ硝石工場群
文化遺産
(危機遺産)

チリ
2005年
19世紀後半から20世紀中ごろまで硝石工場として栄えた町です。1940年代の最盛期には約3700世帯もの人が住んでいました。現在は誰も住んでいないゴーストタウンで、当時使われていた建物や機械は全てがセピア色となっています。ここは現在ただの廃墟かもしれませんが、毎日鳴り響いていたであろう機械の音や生活の音を自分なりに想像してみるとテーマパークに来たような面白さがあり、私たちは思いのほか楽しめました。
53 アレキーパ市歴史地区
文化遺産

ペルー
2000年
石灰石で建てられた建物が有名な都市、アレキパは標高2400mに位置しています。本来なら町の中心地にあるアルマス広場北側に建てられている大聖堂の後ろに形の美しいミスティ火山が見えるはずでしたが、残念ながら厚い雲に覆われていました。そしてここは「ホワイトシティ」として有名なので青空のもとでの写真が一番キレイなのですが。。。チリ-ペルー間を移動する旅行者はここに立ちよる人も多いですが、クスコやチチカカ湖に比べると旅行者も若干少ない気がします。ただ、ここは料理が大変おいしくしかも安いのでぜひ立ち寄ってほしい場所です。
54 クスコ市街
文化遺産

ペルー
1983年
 
クスコは先住民族であるケチュア族が建国したインカ帝国の首都として栄えた場所です。最盛期にはクスコを中心にコロンビア南部、チリ中部、アルゼンチン北西部まで広がっていました。しかし1520年代にスペイン人が侵入し1533年にインカ帝国は滅ぼされてしまいました。またスペイン人によって建物は破壊され、金銀も持ち出されてしまったため、当時のものはほとんど残っていません。ただインカ文明は口伝継承のため人から人へこの文明の素晴らしさは今でも語り継がれています。
55 マチュピチュの歴史保護区
複合遺産

ペルー
1983年
インカ帝国の首都であるクスコから鉄道や車、もしくは歩いて熱帯雨林の山奥へ。。。切り立った岩山の頂上にペルーを代表する世界遺産、マチュピチュが存在しています。多くの謎がある遺跡ですが、研究の結果徐々に謎が解明されつつあります。ただし、それはあくまでも仮説の域を越えていません。こんな場所に誰が何のために造ったのか。その本当の理由が永遠に分からなくても、この場所を訪れる人が途絶えることは無いでしょう。
56 ポトシ市街
文化遺産

ボリビア
1987年
銀山の発見により飛躍的に成長を遂げたこの町は世界で最も標高の高い都市(4070m)で、町のどこからでも見えるマーブルマウンテン(Cerro Rico)はこの町の象徴ともなっています。もっとも繁栄した時期にはスペイン人がここを支配しインディヘナだけではなく黒人奴隷も鉱山で働かされ多くの命をなくしました。現在でも数千人が鉱山で働いています。町はコロニアル調の家々が現在も建ち並んでいます。
57 古都スクレ
文化遺産

ボリビア
1991年
スクレの町は白い壁と赤いレンガの屋根で統一されており、植民地時代の街並みをそのまま現代に残しています。ここは18世紀にはスペイン人の東領土の重要拠点にしていました。現在ボリビアの立法および行政の首都はラ・パスですが、ここは司法の首都であり、現地の人はそれを誇りに生活しています。
58 イグアス国立公園
自然遺産

ブラジル
1986年
イグアス国立公園はブラジルとアルゼンチンでは共同の物件ではなく別々に登録されています。ブラジル側では道路工事などによる環境悪化の為、1999年に危機遺産に登録されましたが環境への対策を行い2001年に解除されました。ブラジル側から見るとイグアスの全景を見ることができ、その雄大さに圧倒されます。
59 イグアス国立公園
自然遺産

アルゼンチン
1984年
アルゼンチン側のイグアス国立公園の一番の見どころはなんといっても「悪魔の喉笛」です。落差80mを大量の水が一気に流れ落ちるときの轟を滝の真上から聞くことが出来ます。その他にもジャングルの中をトレッキングしたり電車で公園内を移動したりと見どころがたくさんあるのでブラジルとアルゼンチンの両国から滝を見ることをお勧めします。

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Europe
NO. 遺跡名称/登録種類 国/登録年 写真 コメント
60 ライン渓谷中流上部
文化遺産

ドイツ
2002年
ドイツでは「父なる川」と呼ばれているライン川はローマ時代からヨーロッパの重要な輸送ルートとして沿岸の町とともに発展してきました。ライン川沿岸には古城や古い街並、教会や修道院などが立ち並び、有名な「ローレライ」の岩も見ることが出来ます。
61 ケルン大聖堂
文化遺産

ドイツ
1996年
2008年
正式名称を「ザンクト・ペーター・ウント・マリア大聖堂」というとても有名なケルン大聖堂。ゴシック様式の建物では世界最大ですが、現在の建物は3代目ですが一度財政難に陥り、数世紀の間工事が中断していたとのことです。そんなケルン大聖堂も現在ではドイツ人の中でも人気ナンバーワンの建造物だそうです。
62 ヴュルツブルク司教館、
その庭園群と広場
文化遺産

ドイツ
1981年
バロック建築を代表するこの建築物は「レジデンツ」とも呼ばれ、天災建築士と言われたバイタザール・ノイマンにより設計されました。ここで一番目を引くのは「階段の間」と呼ばれる吹き抜けの天井にかかれた画で、世界で一番大きいフレスコ天井一枚画と言われています。
63 ウィーン歴史地区
文化遺産

オーストリア
2001年
ローマ時代からの歴史を持つウィーンは、中世にはハプスブルグ帝国の首都として栄えました。特にバロック様式の建物は秀でて傑作とされ、世界遺産に選出されました。また現在では「音楽の都」として数々の作曲家を生んだ歴史的にも重要な都市となっています。
64 シェーンブルン宮殿と庭園群
文化遺産

オーストリア
1996年
シェーンブルン宮殿はウィーン市街から少し離れた場所に建てられたハプスブルグ家の宮殿です。ここは主に、貴族の夏の離宮として、また町の雑踏から離れるために造られたと言われています。部屋数は1400室以上、また庭園には日本庭園の他に巨大迷路や動物園もあります。宮殿が黄色で塗られているのは、黄金にする計画だったのが財政状況を考えて一番近い黄色にしたとの事です。
65  プラハ歴史地区
文化遺産

チェコ共和国
1992年
モルダウ川を挟んで東岸に旧市街やユダヤ地区、西岸にプラハ城、そしてモルダウ川に架かるカレル橋など歴史的建造物が数多く建ち並ぶチェコ共和国の首都プラハ。11世紀から18世紀にかけての様々な建築様式の建物がそのままの形で現在に残っています。数々の激動の時代を生きてきたこの建物達には現代のプラハはどのように映っているのでしょうか。
66  クラクフ歴史地区
文化遺産

ポーランド
1978年
現在ポーランドの首都はワルシャワですが、17世紀初頭に遷都されるまではここクラクフがポーランド王国の首都でした。ポーランドは隣国からの侵略や分裂により一つの国家として独立するのが困難な時代が長く続きました。そんななか中世の時代からユダヤ人地区が存在し、映画「シンドラーのリスト」の舞台もここクラクフに存在します。毎年7月に世界最大規模のユダヤ音楽祭が行われ、ポーランドから各国に移住したユダヤ人たちも訪れて盛大に開かれるそうです。
67 アウシュヴィッツ・ビルケナウ ナチスドイツの強制絶滅収容所(1940-1945)
文化遺産

ポーランド
1979年
ユダヤ人というだけで強制的に連行され、到着するとすぐにガス室で殺されました。ここアウシュヴィッツでは約150万人の人々が残酷な死をとげました。そのなかの90%がユダヤ人だったそうです。老若男女関係なく、ただユダヤ人という理由だけで。収容所の入口には「働けば自由に」という看板が掲げられています。ただ、自由になった人はだれ一人いませんでした。十分に食事も与えられず毎日過酷な労働を強いら死んでいった人もたくさんいたそうです。看板の「B」の文字が逆さまなのは彼らのできる限りの反抗の証と言われています。
68 ドナウ河岸、ブダ城地区及びアンドラーシ通りを含むブダペスト
文化遺産

ハンガリー
1987年/
2002年
 
ブダペストはもともと、ドナウ川西岸のブダ、その北側のオーブダ、東岸のペストの3都市でしたが、1800年代後半に合併されブダペストと呼ばれるようになりました。オーブダにはローマ帝国支配時代のコロッセオなど、ブダには王宮、そしてペストには両岸を結ぶくさり橋があり、王宮の丘から望むくさり橋はまさに絶景です。
69  ペーチ(ソピアネ)にある初期キリスト教墓地遺跡
文化遺産

ハンガリー
2000年
  ハンガリーの首都ブダペストから約200km南に位置するペーチには、ハンガリー最古の大学があります。そしてここはローマ帝国時代に交易で栄えました。そしてここには4世紀頃に建設された地下墓地が残されており、貴重な歴史的遺産として保存されています。内部を見るとアダムとイブの壁画や彫刻が残され、、当時すでに装飾の習慣があったことが分かります。
70 リラ修道院
文化遺産

ブルガリア
1983年

 
ブルガリア正教会の修道院で、ブルガリアの首都ソフィアから南へ約3時間の山間部にあります。ひっそりとたたずむこの修道院は数々の襲撃に会いながらも、オスマン帝国時代にはブルガリア全土で禁止されていたブルガリア語や正教会の信仰もここだけは黙認されていたそうです。19世紀前半の火災により破壊され後も国民の寄付により建て直され、見事なフレスコ画も復活しました。現在でも巡礼者はもとより、観光客が大勢訪れる場所となっています。
71 ボヤナ教会
文化遺産

ブルガリア
1979年
首都ソフィアの郊外にあるこのボヤナ教会が最初に建てられたのは11世紀前後と言われています。その後増築を繰り返したため、この建物には3つの時代の建築技術が見られます。そして内部のフレスコ画が実に特徴的で、12世紀に最初に描かれてから何度も別の画が上書きされています。現在はその画が所々剥がれ落ち、何代も前のフレスコ画を少し見ることが出来ます。
76 アテネのアクロポリス
文化遺産

ギリシャ
1987年
ギリシャの首都アテネにあるアクロポリスは大都会にありながら、ここだけが他の場所と違い神聖な空気を漂わせています。ギリシャの中でも最も有名な観光スポットですが現在は大がかりな修復を行っており、特にパルテノン神殿は当時のものと同じように復元されるそうです。もし完成したら、ギリシャ神話に出てくる神々が集う場所になるかもしれません。
77 メテオラ
複合遺産
 
ギリシャ
1988年
この奇岩群に建てられている修道院は14世紀ごろから建てられ始めましたが、それ以前は修道士たちが個々で洞窟などに住み、瞑想や修行を始めたそうです。24あった修道院も尼僧院も含め現在6つが活動しています。より神に近づくため、俗世界から離れる為に建てられた修道院。それほど修道士にとって神とは偉大な存在なのでしょう。しかし、この奇岩がどのように形成されたか分かっていません。それだけに自然の偉大さも感じる場所です。
78 コトルの自然と
文化-歴史地域

文化遺産

モンテネグロ
1979年
  日本人にはあまりなじみのないモンテネグロですが、とても自然豊かで有名な国です。そしてこのコトルという町はアドリア海に面したリアス式海岸で一番奥に位置しています。町自体はとても小さく1日あれば観光は十分できます。特に訪れてほしいのは街と湾が一望できる城壁です。城壁は街の裏の山に沿って建っていて見晴らしは抜群です。
79 モスタル旧市街の
古橋地区

文化遺産

ボスニア・
ヘルツェゴビナ
2005年
  モスタルの歴史は古く、先史時代の遺跡も確認されています。オスマン朝時代には交易の中継点として栄え、その時に有名な橋「スタリ・モスト」が造られました。その橋の構造はとても優れており、当時どのようにこの橋が架けられたのか残念ながら文献は残っていないそうです。1990年代のボスニア紛争時には一度破壊されてしまいましたが、2000年代に各国の援助によりモスタル周辺の再建が行われました。訪れた時はじっくり見ることができませんでしたが、この写真を見ると本当に美しい形をした橋だと納得します。
80 ドゥブロブニク旧市街
文化遺産

クロアチア
1979年/
1994年
「アドリア海の真珠」と言われるほど美しい街並みを残すドブロヴニク旧市街。その街並みもさることながらアドリア海の美しさは日の当たり具合によって7色に輝くと言っても過言ではありません。その美しい海と街並みが観光客を引き付けるのは当然です。そして多くのフェリーや大型客船も停泊する港があり、いつかは豪華客船に乗ってこの地を訪れられたら素敵ですね。
81 ヴェネツィアとその潟
文化遺産

イタリア
1987年
「水の都」や「アドリア海の女王」と呼ばれるヴェネツィアの歴史は7世紀ごろから始まります。現在に至るまでこの都市の主な交通は船やゴンドラと呼ばれる手漕ぎボートです。そのせいか車のクラクションや排気ガスなどの公害が無く、ゆったりとした時間が流れている感じがします。また、迷路のように続く細い路地のあちこちにヴェネツィア名物の仮面が売られており、どこか不思議な世界に迷い込んでいるようなドキドキも味わえることろがこの街の魅力です。
82 フィレンツェ歴史地区
文化遺産

イタリア
1982年
白い壁に赤い屋根の街並みといえばここイタリアのフィレンツェが一番でしょう。イタリア・ルネッサンス(=再生)が始まったこの都市は「屋根のない博物館」と呼ばれるほど色んな場所に素晴らしい芸術作品が見られます。建築、彫刻、絵画だけでなくふと見上げた家の窓枠やドアのノックまでもがアンティーク調で他の都市には見られないユニークさがあります。町を歩くだけで芸術に触れられる。多くの人がこの都市に長居してしまう理由がよく分かります。
83 ローマ歴史地区、
教皇領とサン・パオロ・
フオーリ・レ・ムーラ大聖堂

文化遺産

イタリア/

ヴァチカン市国
1980年/
1990年
 
ローマの始まりにはある伝説があります。王の命令で川に流されてしまった双子の男の子をオオカミが育てたというものです。その双子のひとりがパラティーノの丘にローマを築いたそうです。そして世界で一番小さい国、ヴァチカン市国。約1000人の住人がいるそうですが、世界中で10億人の信者いるというローマ・カトリックの総本山です。ローマもヴァチカンも歴史的、宗教的、芸術的見どころがたくさんあり、地図を見ているだけでもワクワクする場所です。
84 ナポリ歴史地区
文化遺産

イタリア
1995年
 
ピッツァやパスタなどのイタリアを代表する料理、カプリ島など近くの観光名所が有名、且つ治安があまり良くないという噂もあるため日帰りで訪れる人が多いナポリですが、街自体見どころが多く、治安も観光客が訪れる所はそれほど心配する必要はありません。ローマなどイタリア北部の観光地に比べ人も少なくゆっくりと海を見ながら食べるイタリア料理は最高です。
85 ポンペイ、エルコラーノ
及びトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域

文化遺産

イタリア
1997年
79年にヴェスヴィオ火山が噴火し、一夜にして地中に埋もれた都市、ポンペイ。その存在が16世紀に発見され18世紀に本格的な発掘調査が始まりました。そして次々と明らかになる当時の高度な技術と生活様式。そして埋もれていたために風化せずに残っていた当時のフレスコ画や彫刻、そして人々の最期の姿。ここまで当時の姿がありのまま残っている遺跡は本当に珍しいです。この遺跡を歩いていると、荷台を引く馬の蹄の音が聞こえてきそうです。
86 アマルフィ海岸
文化遺産

イタリア
1997年
 
日本の映画で有名になったこのアマルフィ海岸には海岸沿いの斜面に小さな町がたくさん点在しています。そしてこの町の名産は、レモン。暑い太陽の日差しを浴びて育ったレモンはこのアマルフィを象徴するフルーツでもあります。街にはレモンで造られたリキュールやアイス、レモンを描いた陶器などがうられており、まさにレモン一色でした。
89 ブリュッセルの
グラン-プラス

文化遺産

ベルギー
1998年
ベルギーの首都ブリュッセルの中心にあるこの大広場は世界一美しい広場と称され、詩人であり小説家のヴィクトル・ユーゴーもこの広場を大絶賛したと言われています。広場の周りには市庁舎や王の家、ギルドハウスと呼ばれる建物が建っています。現在では一番の観光名所となり、ここから徒歩圏内にあの「小便小僧」の像も見ることができます。また、シーフード料理のレストランやチョコレート・ワッフルなどのベルギー名物が売られており、美味しい匂いについつい誘われてしまいます。
90 ヴェルサイユ宮殿と庭園
文化遺産

フランス
1979年/
2007年
パリの南西約30kmの場所に王族の館が建てられたのは1624年ルイ13世でした。その後ルイ14世が増築を重ね現在のような宮殿に仕上げていきました。広大な敷地に豪華な建物と美しい庭園。まさに当時のフランスの絶対王政を象徴するような建物です。ここにはマリーアントワネットも住んでいました。またこの宮殿で一番有名な鏡の間はフランスの歴史の中でも重要な場面でここが使われています。
91 パリのセーヌ河岸
文化遺産

フランス
1991年
パリの中心を流れるセーヌ川のシェリー橋からイエナ橋までの約8kmが世界遺産に登録されています。そしてこの付近にはパリの観光では外せないノートルダム大聖堂やエッフェル塔、コンコルド広場やルーブル美術館などもあります。この写真に写っている建物はセーヌ川の中州にあるシテ島に建つ「コンシェルジュリー」です。ここは一時期牢獄としても使用され、マリーアントワネットが閉じ込められていた場所です。
92 アントニ・ガウディの作品群
文化遺産

スペイン
1984年/
2005年
 
ガウディの作品を見た瞬間、誰もが童心に戻り心が躍ります。自然の中からデザインのヒントを得ているため、子供のころよっく走り回った草むらを思い出すのでしょうか。鮮やかな色彩と緩やかな曲線が見る人の心を穏やかにさせます。この奇抜なアイディアに投資をしたグエル氏やサグラダファミリアの設計を依頼した方々もガウディのような豊かな心を持った人たちだったからこそ、彼のデザインが実現されたんだと思います。
93 バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院
文化遺産

スペイン
1997年/
2008年
 
まるで教会か宮殿のようなたたずまいの病院。ガウディのライバルと呼ばれたリュイス・ドメネク・イ・モンテネールの作品で、実際に2009年までこの病院は使われていました。ガウディと歳はそんなに離れていませんが実はガウディは彼の教え子だったのです。「芸術は人を癒す力がある」という理念を持ったモンテネール。ピンクの壁に所狭しと施された装飾。見れば見るほど癒されるこの建物は、まさに彼の言葉通りです。
94 バレンシアの
ラ・ロンハ・デ・ラ・セダ

文化遺産

スペイン
1996年
 
15世紀後半に建てられたこのこの建物。「ラ・ロンハ・デ・ラ・セダ」という名前のとおり、もともとは絹の商品取引所として使われていました。また、ここには裁判所や牢獄などもあり、スペイン初の商事裁判所として機能していたそうです。写真の場所は「柱のサロン」と呼ばれ、当時は金融業務行うために使われていました。内装のみならず入口の扉の彫刻も他にはないユニークな作品が彫られており、こんな素敵な場所が取引所だったという意外な使われ方に驚きました。
95 グラナダのアルハンブラ、
ヘネラリーフェ、
アルバイシン地区

文化遺産

スペイン
1984年/
1994年
ナスル朝、そしてスペインにあるイスラム建築の最高傑作と呼ばれるこのアルハンブラ宮殿、とにかく壁一面に彫られた彫刻は圧巻です。モロッコにもすばらしい建築はたくさんありましたが、アルハンブラ宮殿は群を抜いていました。また、宮殿内も同じ敷地内にあるヘネラリーフェの庭園も、暑いグラナダの夏とは思えないほど涼しく快適でした。

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North America
NO. 遺跡名称/登録種類 国/登録年 写真 コメント
96 自由の女神像
文化遺産

アメリカ合衆国
1984年
自由の女神像はアメリカの合衆国の独立100周年を記念してフランスから贈られたものです。右手にはたいまつを高々と掲げ、左手にはアメリカの独立記念日にもなっている「1776年7月4日」と書かれた銘板を持っています。1884年にフランスで製作され、その後数百個に分解されてフランスから船に乗ってアメリカへやって来ました。そして1886年に国民の前に姿を現したのです。
97 グランド・キャニオン
国立公園
自然遺産

アメリカ合衆国
1979年
グランドキャニオンを見ていると、自分の悩んでいることがとってもちっぽけなものだったことに気付かされます。グランドキャニオンの形成が始まったのが約7000万年前。コロラド川が浸食し、現在のような形になったのが200万年前。そして現在見られる地層の中で最古のものは10億年とも20億年とも言われています。人類の歴史からも程遠いほど前からこの場所に存在していたと思うと、自分が今この場所でこの景色を眺めていることが不思議に思えてきます。アメリカンインディアンたちはグランドキャニオンを「母なる大地の心臓の鼓動が聞こえる場所」として崇めています。
98 古代都市チチェン-イッツァ
文化遺産

メキシコ
1988年
「新・世界七不思議」のひとつでもあるこのカスティーヨ(ピラミッド)は春分の日と秋分の日にのみ、真西からこのピラミッドが太陽に照らされるため光の当たる関係でマヤの最高神であるククルカンの胴体が浮かび上がることから「ククルカンの降臨」と呼ばれ、この日はいつもより大勢の観光客が世界各国から訪れます。
99 オアハカ歴史地区と
モンテ・アルバンの
古代遺跡
文化遺産

メキシコ
1987年
 
コロニアル調の街並みが美しいオアハカ州の州都でもあるオアハカ。先住民族の割合も多いため、古き良きメキシコを見られることでも人々の関心を集めています。そのため色彩豊かな民芸品が多く、お土産屋めぐりをするだけでもこの土地の人たちの完成の豊かさを伺うことができます。また周辺には古代遺跡が数多く残り、遺跡好きにもたまりません。
100 古都グアナファトと
その銀鉱群
文化遺産

メキシコ
1988年
メキシコで最も美しい街並みと称賛されるほどカラフルな建築が目を引くグアナファト。ここは銀の採掘で栄えた町で一時は世界の銀の30%を採掘していたと言われています。当時掘られた坑道の一部は、現在自動車専用道路としても使用されております。街を歩くと聞こえるマリアチやセレナーテなどの楽団の音楽は、この町の雰囲気をより一層引き立てています。
101 サン・ミゲルの要塞都市と
ヘスス・デ・ナサレノ・デ・
アトトニルコの聖地
文化遺産

メキシコ
2008年
一時間もあれば町の中心を一周できてしまうくらい小さなサン・ミゲルの町は、18世紀に最も栄えました。グアナファト州の州都であるグアナファトは銀の採掘で栄えましたが、この町は自らの工業で栄えたそうです。また、ここの教会はメキシカン・バロック様式かつピンクという、他の町とは一味違い可愛らしい街になっています。
102 メキシコ・シティ歴史地区と
ソチ・ミルコ
文化遺産

メキシコ
1987年
メキシコの首都であるメキシコシティ。かつては「テノチティトラン」と呼ばれ、アステカ王国の首都でした。スペインの征服により当時の建築物はすべて破壊され、現在カテドラル(大聖堂)が建てられている場所にはアステカ族の最高神を祀る神殿が建てられていました。現在この中央広場では様々なイベントが開催され、「湖の中央の岩に生えるサボテンに蛇をくわえた鷲がとまっている」というアステカ神話に基づいた国章が中央にあるメキシコ国旗が優雅にはためいています。
103 古代都市テオティワカン
文化遺産

メキシコ
1987年
テオティワカンとは後にここを発見したアステカ人によって命名された名前で、「神々の都市」という意味です。テオティワカンは紀元前2世紀から6世紀まで栄えた宗教都市で、ここに残された建造物や埋葬品を調査すると当時にしてはかなりの高度な文明技術を持っていたことが分かります。しかし、ここを建築したテオティワカン人がどこから来てなぜ忽然と消えてしまったのかいまだに謎多き民族なのです。

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